2023年10月11日 (水)

気仙沼だより(令和5年9月30日~10月2日)

気仙沼の報告(令和5年9月30日~10月2日)

 

●令和5年9月30日(土)
今年もペット宿泊可のニュー泊崎荘に宿泊。
岩手県職員のS.Tさんが9時30分に迎えに来てくださいました。今年も釜石勤務だそうです。週末だけご自宅に帰っていらっしゃるとのこと。貴重な休日を、ありがとうございます。

 

今日は、K.Kさんと、O.Fさん宅に訪問します。O.Fさんとは6年ぶりの再会です。平成29年6月が最後の訪問でした。
K.Kさん宅までの道中、かつて慰霊した小泉海岸も通ります。すっかり整備されています。
大谷海岸には道の駅もできたそうです。

 

◎K.Kさん
予告なしで訪問。幸い御在宅でした。お庭で草取り中。もう86歳なのに、全然そんな感じがしません。ガンは寛解とのこと。昔の記憶力も素晴らしいです。
中に上がって少しお喋り。奥様はとても小さい栗の渋皮をむいていらっしゃいました。近くの山で採れる栗でしょうか。小さいけど甘くておいしいそうです。

 

 

◎陸前高田市役所
 7階建ての市役所を見学。休日でも一般に公開しているようです。7階は街を見下ろす展望台のようになっています。佐々木朗希君を応援する横断幕も掲げてありました。

 

◎東日本大震災追悼施設
 近くの慰霊施設にも訪問しました。気仙大工の技術を駆使したものだそうです。黒御影石には犠牲者のお名前(1709名 ご遺族の意向を踏まえて)が刻銘されています。曇り空の下、冷たい風が吹き渡っています。

 

◎O.Fさん
 家の前で待っていてくださいました。お元気そうです。昼食をご用意くださっていました。10年間続けてきた英会話教室も一区切りつけられたそうです。壁には、世界地図や、近くの保育園児童たちの想い出の写真、お手紙などが貼ってあります。
 心温まる、とても美味しいお昼ご飯でした。ありがとうございました!

 

帰路、雨がだんだん強くなってきました。
実は、来る途中の新幹線で手首をひねったまま寝ていたために、昨日から右手首に全然力が入っていません。S.Tさんのお知り合いの整形外科に寄ってもらいました。橈骨神経麻痺というもののようです。完治までには、数週間から数か月とか。しばらくは不便な生活となります。

 

 

●令和5年10月1日(日)
 今日は、早馬神社様の例大祭の日。漁船による神輿渡御もあるので、参加したかったのですが、手首が不自由なので諦めました。宮司様、禰宜様にご挨拶し、祭の雰囲気だけ楽しんでお暇しました。
 
 石巻に行く途上、大島に寄ってくださいました。

 

 駐車場には、東日本大震災の鎮魂の碑が立っています。39名の方のお名前が刻まれています。当時は橋がなく、島民の方たちは2週間、全くの孤立状態でした。そんな中、島の方たちは助け合って、生き抜いてこられました。
みちびき地蔵というお地蔵さんにもお参りしました。宮崎駿のアニメに出てきそうな祠です。日本昔話でも放映されたことがあるそうです。

 

気仙沼大島大橋 (鶴亀大橋)を渡って、気仙沼市内、そして石巻へ。三陸縦貫自動車道が通っているので、とても近く感じます。

 

 午後は一二三家のお墓参り。その後、海岸わきで昼食です。日差しは強いけれど、浜風は涼しく心地よいです。
昼食後、石巻日和山の鹿島御児神社にお参りしました。
 山上の鳥居からの眺望は、海を見渡せて、絶景です。

 

 

今年も二日間の訪問でした。
年に1回の再会です。K.Kさんも、O.Fさんも、早馬神社の宮司さんも、皆様もう80歳を超えていらっしゃいます。
初めて出会った頃(11年前)には70歳半ばくらいだったのに・・・。
来年もお元気でお会いできますように。
1回1回が、貴重さを増します。寂しい気もします。

 

S.Tさん、今回もありがとうございました。
病院の診察を受けられたのもS.Tさんの適切なご判断のおかげです。

 

冬も近づき、寒さもだんだん厳しくなっていく時期です。
どうか皆様、お元気で!

 

| | コメント (0)

2022年11月20日 (日)

気仙沼だより(令和4年10月1~2日)

気仙沼の報告(令和4年10月1~2日)

 

◎令和4年10月1日(土)

今年も前回と同じくペット宿泊可のニュー泊崎荘に宿泊。

5時半ごろ、部屋から朝日を拝みました。雲一つない空、水平線、赤い朝日。波もきらきら輝いています。

岩手県職員のS.Tさんが10時に迎えに来てくださいました。今は釜石が職場で、せっかくの休日に申し訳ないです。

 

【気仙沼ベイクルーズ】

11:10発の観光遊覧船に乗って、湾を一周します。案内をしてくださるのは元気で明るい若い女性です。50分の観光の間、よどみなく上手に案内してくださり、湾内の様子もよくわかりました。

甲板からウミネコにかっぱえびせんを上げたりしながら、楽しい50分でした。

【気仙沼湾商店街】

屋台風のお店の並ぶ商店街。ラーメン屋さんや揚げかまぼこやさん、炭火焼やさんなど、いろいろあってワクワクします。フードコート風の椅子や机が並んでいますが、土曜日なのに、意外に空いています。

商店街の一軒にビール醸造所がありました。BLACK TIDE BREWINGというお店です。売り場の裏で醸造しているとのこと!びっくりしました。ケース内の缶ビールは種類が豊富。中にはアルコール8%というものもあります。缶はどぎつい(毒々しいというと聞こえは悪いですが)色使いの意匠で、スーパーマンとかバッドマンにも見紛うばかりです。8%のを購入。汗ばむくらいの晴天の下、揚げかまぼこをさかなに、美味しく頂きました。

【早馬神社】

10月第一日曜日の大祭前日。今年は規模を縮小して、関係者のみで催行されるとのこと。

お祭り前日ですが、梶原忠利宮司様、梶原壮市禰宜様も、比較的のんびりされているようにお見受けしました。我々以外に、お宮参りのご家族が参拝されていました。とても小さい可愛らしい赤ちゃんです。

そういえば、宮司様のお孫さまも一番上のご長男は中学3年生とか。震災当時は3歳で、お母様がお父様(壮市禰宜)に崖を放り投げて助けられたお話が思い出されます。

【K.Kさん宅】

階上公民館で働いていらした、元船乗りのK.Kさん宅に寄りました。公民館のお仕事は引退されて、奥様とゆったりとお過ごしなのでしょう。奥さまもお元気そうでした。

【杉の下地区・絆の碑】(地福寺近く)

 津波で93名(その地域の住民の約3割)の犠牲者を出した杉の下地区で花束をお供えしました。秋田犬を散歩させている男性がお一人。10か月なのに相当大きいワンコです。力も強そうです。ほんわかした顔に癒されます。

【南三陸311メモリアル】

 南三陸さんさん商店街の隣で、本日開館の南三陸311メモリアルへ。木の風合いを生かした建造物で隈研吾が手掛けられたそうです。来館者にはお米1キロ入りの手提げ袋を配っていました。中の小さい劇場で「その命が守れるか」を視聴しました。災害時には、何重もの避難対策が必要なのだと考えさせられました。

17時に帰館。土曜日なので宿泊客も大勢います。泊崎荘はお食事が有名。食べきれないほどの海の幸を堪能しました。

 

◎令和4年10月2日(日)

 この日も朝日を拝むことができました。10時旅館を出発です。

【大川小学校】

まずは大川小学校へ。すっかり整備され、駐車場も舗装されています。津波でへし折られぐにゃっと曲がった、直径70センチくらいの柱が3本。剥き出しになった鉄筋とコンクリート部分。津波という自然の猛威を見せつけられます。

【道の駅 上品の郷】

 こちらは満足度が全国2位の道の駅だそうです。家族連れでなかなかの賑わいです。餃子が安くておいしかったです。

【石巻市 みやぎ東日本大震災津波伝承館】

 東北大学大学院教授 姥浦道生先生による「復興まちづくり研究のご紹介:東日本大震災は街をどう変えたか?」という講演をお聴きしました。過疎化が進む中でのまちづくりの大変さが感じられました。

【門脇小学校】

 石巻市の震災遺構として、中に入ることができるようになりました。廊下から各教室の様子が見学できます。津波と火事による惨状。言葉になりません。声すら出ません。

 見学後の外の秋空を見上げると、全てが嘘だったかのような気になります。

【お墓参り】

 最後にお墓参りに寄って頂きます。震災後は親戚が集まる機会も少なくなりました。

こうして寄って頂けるのを改めてありがたく感じます。

 

今回も2日間、観光も楽しみながら復興の様子を見学できた貴重な時間でした。

改めて、S.Tさん、ありがとうございました。

 

 

 

| | コメント (0)

2021年2月24日 (水)

(事務局より)5冊目のご本の受付を開始しました

ひふみのつどい事務局でございます。

事務局のホームページでは既にご連絡させていただいておりますが、ひふみともこ先生の5冊目のご本「神から人へ 人から神へ」の受付を開始いたしました。

Gosatsume 

内容といたしましては、本ホームページで既に公開されているものに、若干の追加、修正を行っています。

お申し込みは本ホームページ左欄の「メールを送信」からメールにてご連絡をいただきますようお願いいたします。その際に
・お名前
・ご住所
・お電話番号
・必要な冊数
をご記入のうえ、メールをお願いいたします。
5冊目の価格は1,500円、送料は1~2冊でしたら200円、3冊または4冊の場合は520円となります。
(今回から1冊の場合はクリックポストでお送りさせていただきます。少しだけですが安くなりますので。)
4冊以上の場合は宅配便になりますのでお住いの地域により変わります。
お支払いはお手元にご本が届きまして、問題のないことを確認していただけましたら送付書に記載の口座にお振込みをお願いいたします。

皆様のお申し込みをお待ちいたしております。

 

| | コメント (0)

2020年4月 1日 (水)

令和2年(2020年)3月31日 コロナウィルス

令和2年(2020年)3月31日 コロナウィルス

 

神から人へ、人から神へ。

 

人類 危難の緊急の時。危機の不安に駆られずに、しばし(こら)えて耐えて忍べよ。

此度(こたび)のコロナウィルスは、人の思いの集積なり。

思いは形に、形は動きに、この世を動かす勢いとならむ。

地上に今ある一人一人の、過去から今に至るまでの、思いの()りて固まりて、ついには世界に広がりぬ。

恐れる気持ちは避けるべし。恐れおののき、慌てふためく。()なる思いは追い風となる。

自己中心の思いもならぬ。(みな)が互いに助け合い、譲り合うこそ、必要なり。

世界を(おお)う恐怖と不安。祈りに高めて、波動を変えよ。

怒りや憎しみ、差別の思い、必ず己に返り()む。

地上に広がる憎悪と呪いを、過去の宿痾(しゅくあ)を 断ち切らむ。

浄化、(みそ)ぎの一つなれ、(きよ)め、(はら)いて、立て直すべし。

神から与えし試練といえども、そは必然の結果なり。

いつか(おとづ)る結果なれ、人類全てが受け止めるべし。

賢き知恵を、尊き思いを、集め、祈りて、()を捨てよ。

いかなるときも、平静の、常なる気持ちを保たれよ。

時の流れに任せるように、身をば(ゆだ)ねて(あらが)わず、なすべきことを行うべし。

さにて思いを浄化せよ。

 

さにて。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年10月16日 (水)

気仙沼だより 令和元年9月(2)

皆様

先日に引き続き、ひふみともこ先生の「気仙沼だより」をお送りいたします。今回の台風19号でも東北地方にはかなりの被害が発生しました。現時点でも次々と死者や行方不明の方の人数が増えていっています。

これ以上、被害が広がることがありませんよう、こころよりお祈り申し上げております。

***************************************************

 最後は早馬神社様へ。宮司様はお留守でしたが、禰宜の梶原壮市様はいらっしゃいました。

今年は神社ご創建800年記念の年だそうです。赤い鳥居の新築や屋根の葺き替えをなさったそうです。記念すべき節目の年にお参りできる幸運に感謝致します。
  夜はニュー泊崎荘近くの食堂へ。海鮮の天ぷらを頂きました。ご馳走様でした。

 

◎令和元年929日(日)

 天気予報は外れて、朝から快晴です。今日は石巻を目指します。

 秋の行楽日和もあり、各地でいろいろなお祭りを催しているようです。

南三陸ではたこ祭り。気仙沼や女川では秋刀魚祭り。いずこも賑やかです。

途中、海沿い2箇所で慰霊をさせて頂きました。

 

また、北上川沿いにある釣石神社に参拝しました。合格祈願の受験生が多く参拝するそうです。

 

大川小学校にも立ち寄りました。いつ来ても、見学者や語り部がいます。

こちらも震災遺構として保存されるそうです。

亡くなられた生徒さん、教職員の方々。そして、ご家族の皆様。>

時は止まったままなのでしょうか。

 

午後、石巻の宮殿寺でお墓参り。

 

北上川の土手でワンコを散歩させます。きれいに整備されていて、気持ちのいい海風が吹きます。

 

昼食後、日和(ひより)神社へ。鳥居越しの海は絶景です。桜の季節がまた素晴らしいそうです。

 

最後は門脇小学校へ。こちらも津波に襲われましたが、幸い1人も犠牲者は出ませんでした。

建物は震災遺構となるそうです。

 

門脇小学校の近くの海で慰霊です。

石巻の海は、リアス式ではなく広々しています。

いかにも太平洋!という感じがします。

秋の海はのどかです。

こうして生きていられることへの感謝が胸の奥に湧き上がってきます。

 

2日間、復興を実感できることも多くある一方で、8年前とあまり変わらないところも多くありました。

防潮堤は確実に広がっています。嵩上げも。復興公営住宅も。道路も。

でも、雑草が生い茂る平地が広がるだけのところもまだまだ多くあります。

復興の光の影で、震災当時の記憶が薄れていきつつあります。

 

S.Tさんには本当にいろいろなところに連れて行っていただきました。

中身の濃い旅程を、快適に過ごさせて頂きました。

練りに練った計画だったことを思うと、改めて感謝です。

本当に 本当に ありがとうございました。

 

| | コメント (0)

2019年10月12日 (土)

気仙沼だより 令和元年9月(1)

皆様
すっかり更新が滞っておりまして申し訳ありません。
本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」を2回に分けてお送りいたします。
ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ
http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html をご覧ください。


***************************************************
◎令和元年928日(土)


 1年ぶりの被災地訪問です。
南三陸のニュー泊崎荘(ペットも一緒に泊まれます)から、岩手県職員S.Tさんの車で、気仙沼市岩月へ。昨年まで階上(はしかみ)公民館で働いていらしたK.Kさんのお宅に遊びに伺います。
K.Kさんは昨年、大腸がんの手術をされました。実は昨年の今頃もお宅にお邪魔させていただいたのですが、手術直後だったせいか、少し元気がなく見えました。
ところが、今回はすっかりお元気そう!今は公民館も辞められ、毎日畑仕事などをされているそうです。今回も船員時代のお話をたくさん聞かせてくださいました。あっという間の2時間。もっともっとお話を聞きたいなと思いながら、おいとましました。
その後、岩井崎の東日本大震災遺構・伝承館へ。こちらは「旧気仙沼向洋高校校舎」を震災遺構としたものです。今年39日から一般公開されています。この高校は海岸から200メートルくらいの場所に建っていますが、地震直後、高台に走って生徒全員無事でした。
館内では津波の映像も見ることが出来ます。津波の生々しい映像を見ていると、改めて津波の威力の凄まじさを感じると共に、東日本大震災から8年も経って、その恐ろしさを忘れかけている自分に気づかされます。
高校の校舎の中には、津波で流されてきた自動車などもそのまま残されています。
見学している誰もが無言です。言葉が出ないのです。
津波がもたらした傷跡の迫力に押し潰されまいとしながら、息さえ止まりそうです。

校舎の屋上で、目の前に広がる明るい海を見たとき、初めて呼吸が軽くなりました。


薄暗い空から小雪の舞っていたあの日、この校舎の4階まで押し寄せてきたどす黒い津波。
そして今、目の前に広がる青い空と海。
二つが結びつきません。
辛い過去の記憶よりも、今の平和を信じていたいと思う自分がいます。
遠のく記憶と教訓を後世に伝えるために、懸命の努力を捧げてくださっている方たちがいらっしゃいます。その方たちの思いを、もっともっと真剣に受け止めたいと思います。


近くの岩井崎でワンコ2匹を散歩させました。松林と海が明媚です。


昼食後、大島大橋へ。こちらも今年の47日に開通したそうです。震災時にはフェリーの運航もできず、3200人の島民達は、3週間も孤立状態になりました。物資や食料など、どれだけ大変であったか、想像にあまりあります。
開通した大橋は遠目にも美しい弧を描いています。長さ356メートルの大橋を走り抜けるとき、見下ろす海や島々。自然の豊かさが詰まっているようです。

| | コメント (0)

2018年8月15日 (水)

気仙沼だより(平成30年7月) (2)

●釜石
釜石では、釜石市片岸町の漁港と、釜石港の2箇所で慰霊をさせて頂きました。

●大船渡
 越喜来(おっきらい)の仮設住宅のあったところに行ってみました。以前3回くらい訪問させていただいたところです。一人暮らしのご高齢の方が多く住んでいらっしゃいました。朝のラジオ体操に参加させていただきました。
仮設住宅は完全になくなっていました。もともとはグランドだったその地は、ようやく本来の役割を果たしつつあるようです。
 ここにいらした方たちは、それぞれに、今では穏やかな生活を取り戻されているのでしょうか・・・。

 越喜来(おっきらい)漁港では高さ10メートル以上もありそうな防潮堤が聳えています。その防潮堤を背に、海に向かって慰霊をさせて頂きました。

●早馬神社
 今日も最後は早馬神社さまへ。約1年ぶりです。
梶原忠利宮司様は、「今年初めて30度を越えました」と とても暑そうです。連日35度越えの関東に比べれば、海風もあり、涼しいくらいなんですが・・・。
 ここ唐桑でも防潮堤の建設が進められています。
 境内の碑に、復興終了の日付を入れるのはまだ先のことになりそうです。

今回も短い時間ではありましたが、被災した地を北から慰霊することができました。
かつての町の姿は失われてしまったけれど、新しい町が生まれ、そこにまた新しい人生・思い出が刻まれていくのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 4日 (土)

気仙沼だより(平成30年7月)(1)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」を3回に分けてお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

*****************************************************************

気仙沼の報告(平成3072122日)

 

 

◎平成30721日(土)

今回も、21時(夜9時)過ぎ気仙沼駅に到着しました。関東は猛暑続きでしたが、東北は多少涼しいかと期待しています。

 

◎平成30722日(日)

 ホテルの朝食を食べに食堂に行くと、窓からは強烈な日差しが差し込んでいます。東北も今日は暑いらしいです。天気予報も軒並み30度以上でした。これは覚悟しないと・・・。

 岩手県職員S.Tさんのご案内で、今回は北に向かいます。

 

●気仙沼

市内の嵩上げはほぼ終わったようです。大阪の有名な餃子のチェーン店や、焼肉のチェーン店も出店していました。地元の古くからのお店はどうなったのか気になります。

 

●陸前高田

 こちらも嵩上げはほぼ終わったようです。でも広大な土地にはまだ建物は少なく、空き地が80%以上でしょうか。「アバッセたかた」というショッピング・モールは昨年6月に来たときにはできたばかりでしたが、今は更にお店が増えたようです。子供向けの遊具の置いてある公園もあります。親子で来ても楽しく過ごせていいですね。

 市内の復興も、このショッピング・モールから徐々に進んでいくことでしょう。

 

●大槌町

 2階建ての町役場はまだ残っていました。時計は焼け焦げ、520分で止まっています。

アスベストの問題で、取り壊しが遅れているそうです。お花をお供えさせて頂きました。

 

大槌町魚市場付近の海辺で慰霊をさせて頂きました。目の前にはひょっこりひょうたん島のモデルになったという島も見えます。ウミネコが波にぷかぷか浮かんでいます。のどかな風景です。風は強く吹きつけるのですが、日差しが強いので、強風さえも気持ちがいいくらいです。

 

●鵜住居地区

 かつて津波の被害を生々しく伝えていた防災センターは、完全に撤去されていました。跡地には砂利が敷き詰められています。少しずつ住宅も建てられています。ここも静かに復興が進んでいるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月18日 (金)

気仙沼だより(平成30年4月)(3)

●石巻

 石巻の大川小学校へ。こちらも震災遺構として遺すそうです。校舎を支えていたコンクリートの柱がなぎ倒されて折れ曲がり、中の鉄骨がむき出しになっている姿は、津波の破壊力を否応なく感じさせます。改めて、犠牲になられた児童生徒の皆さんと先生方のご冥福を祈り、哀悼の意を表したいと思います。

 

 道の駅「上品(じょうぼん)の郷」で昼食を頂いてから、石巻市総合運動公園へ。ここは、被災地最大規模の仮設住宅地でした。広大な敷地(142,069㎡)に、ピーク時で487世帯、1,225人が入居される仮設住宅がずらりと立ち並んでいました。

震災から7年。仮設住宅の殆どは撤去され、はずれのほうに少し残っているだけです。このすぐ近くには、震災後にできた大型量販店街が大変な賑わいを見せています。日本全国どこでも見かける大型量販店の見本市のような町です。そこから車で5分もかからないこの場所で、忘れられたようにひっそりと肩を寄せ合っている仮設住宅が数棟・・・。7年経ってもこの場所で、仮設住宅を出られずに住んでいらっしゃる方たちの気持ちは想像もつきません。

 

一日の終わりに、渡波にある夫の実家近くにある宮殿寺でお墓参りを済ませ、お寺から数百メートルの海岸に出ました。三陸とは異なる大海原が広がります。海岸線がゆるやかな曲線を描いて左右に伸びていきます。

「海は広いな、大きいな~」そんな歌が口をついて出てきそうです。

震災前にも夫の帰省のときに何回か来たことはあるのですが、こんなに雄大で、そしてきれいな海だったのかと、初めて気がついた気持ちです。

今日最後の慰霊をさせて頂きました。

 

一関までの車中で、S.Tさんとたっぷりおしゃべりをしました。私の今の心の迷いも聞いてもらいました。

9時から夕方5時まで、中身の濃い1日でした。

S.Tさん、本当にありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月13日 (日)

気仙沼だより(平成30年4月)(2)

●南三陸

南三陸に向かう途中の道もかなり整備が進んでいました。海沿いの数箇所(小金沢、志津川)で慰霊をさせて頂きました。

津波の被害を免れたのでしょうか。そこここの民家の庭には昔ながらの立派な鯉のぼりが泳いでいます。都会ではもう見かけることもなくなってしまった光景に心が和みます。

 

大谷海岸にあった仮設のラーメン屋さんもなくなっていました。醤油ラーメンがおいしくて、何回も足を運んだお店です。震災前は海水浴客で繁盛していたそうです。

ご主人夫婦はお嬢さんを津波で亡くされました。結婚前の19歳の若さです。

ご夫婦とも病気を抱えておられ、毎月1回、東北大学病院まで2時間半かけて通院されているとのことでした。袋詰めのりんごを頂いたこともあります。

冷たい水仕事、立ち仕事はさぞお辛かったことと思います。お元気でいらっしゃることを祈るばかりです。

 

さんさん商店街に立ち寄りました。平屋作りの建物に、食堂やコンビニ、土産物屋さんなどが入っています。南三陸名物「きらきら丼」の看板を出しているお店もたくさんあります。「きらきら丼」というのは三陸の海の幸がたっぷりのった贅沢な丼です。

駐車場は満車状態。遠くからも大勢いらしているようです。

さんさん商店街から、防災庁舎の3階の上部と屋上が見えます。町の嵩上げのために、2階以下は地下に埋もれてしまったかのようです。震災遺構として遺すことになったそうです。嵩上げして上から見下ろすようになってしまうと、津波の恐ろしさもあまり実感できないような気もします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«気仙沼だより(平成30年4月)