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2015年2月15日 (日)

気仙沼だより(29)

本日はひふみともこ先生が1月に気仙沼へ慰霊に行かれた際の「気仙沼だより」をお届けいたします。(2回に分けて掲載いたします。)

気仙沼の報告㉙(平成2711112日)

◎平成27111

新春の気仙沼。身の引き締まるような気持ちのいい寒さです。今回は、学生T.Sさんも茨城県からきてくれました。東京から夜行バスで夜明けに仙台に着いて、そこからバスを乗り継いで気仙沼まで。お疲れ様です。

10時半に気仙沼駅で、岩手県職員S.Tさんと学生T.Sさんと合流します。

午前はS.Tさんが陸前高田の被災状況を学生T.Sさんに説明し、午後は陸前高田のO.Sさん宅で、被災時のお話などをお聞きする予定です。

●陸前高田市 

 陸前高田市、奇跡の一本松が銀色のベルトコンベアの向こうに見えます。この風景は前回11月と同じものですが、市内の嵩上げは少し進んだようにも見えます。とはいえ、町として復興するまでにはまだ34年以上はかかるのでしょう。

 街の様子を見た後、気仙大工左官伝承館へ。ここは2年前にも訪れたことがあります。2年前も良く晴れて風の強い日でした。

伝承館に入ると、囲炉裏では火が焚かれていて煙の香りが立ち込めています。 寒い土間で靴を脱いで部屋に上り、ひととおり建物の中を見学して帰ろうとしたとき、ちょうど語り部の武藏裕子さんが入ってこられました。

こうした昔ながらの建物は、冬寒い時は汗腺がきゅっと締まり、夏暑い時には汗を流して汗腺が広がるから健康的なのだと話してくださいました。今の若い人は足元に注意しないので敷居やちょっとした段差につまずく人が多いとのこと。バリアフリーに慣れ過ぎてしまったせいでしょうか。安全のためにバリアフリーが流行っていますが、そのために注意力が散漫になり神経や脳を使わないために認知症が進むことも考えられます。何もかも便利で安全なものを追求するあまり、本来使うべき機能を怠けさせてしまった結果、却って軟弱になっているとしたら皮肉なことです。

 武蔵さんは震災のとき、伝承館のある高台から津波の様子を見ていたそうです。あまりの恐ろしさに目をつむろうとしたとき、耳の横で「目をそらさず、しっかり見よ。このことを後世に伝えよ」という声が聞こえてきたそうです。

 震災後、伝承館を訪れる方には、震災当日のことや避難生活のことを話されています。武藏さんは「3つのお願い」ということを言っておられました。

 1つ目は、駐車場にはバックして入れること。そうしないと、地震で逃げるときに最後になってしまうからです。

 2つ目は、家族皆の携帯電話に親戚の電話番号をできるだけたくさん入れておくこと。震災で携帯電話は使えなくなるけれど、携帯電話の電源が入れば電話帳代わりになります。公衆電話などが復旧した時には自分の居場所などを親戚に伝言できるからです。

 3つ目は、震災の時にはトイレが一番困ることになります。その時、男の人は是非女の人のためにトイレの穴を掘って、段ボール箱などで囲いを作ってあげてほしいということでした。

 震災の話と同時に興味深かったのは、伝承館を訪れるお年寄りのお話でした。伝承館に訪れると、それまで認知症などでぼんやりしていた人が、帰るときには見違えるように目が生き生き輝いて帰られるそうです。囲炉裏の香りや土間の感触、板の間の手触りなどから、昔の記憶が鮮明に蘇えるからなのです。

武蔵さんは、お年寄りにいろいろな質問をしてさしあげるそうです。「板の間をもっとピカピカにするにはどうすればいいの?」というように。お年寄りたちが昔身に付けていた暮らしの知恵や体験を質問すると、お年寄りたちはとても嬉しそうに答えるそうです。

 年寄りだからと言って何もさせないのではなく、その方が歩んでこられた人生経験をできるだけ聞いてあげたりすることは、とても大切なのですね。

お昼は伝承館敷地内にある食堂へ。醤油味の中華そばは私の大好きな味でした。煮干しと昆布で出汁を取るそうです。中華そばでこんなにおいしいのは滅多にありません。最高でした!

●陸前高田市 O.Sさん宅

 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん宅へ。O.Sさんは震災でご主人を亡くされています。半年ほど前からようやく元気を取り戻してきて、今では少しずつ自分からもお話をされるようになってきたとか。

O.Sさん宅に上がらせてもらうと、ご主人の思い出話が続きました。

とても人情の厚い方だったそうです。

ご主人のお写真も見せて頂きました。いかにも男気の溢れる優しそうな方でした。

お子さんたちは教育関係の方が多く、可愛いお孫さんもいらっしゃいます。

ご主人がいらっしゃれば、本当に幸せなご家族だったことでしょう。

今はだいぶ元気になられたとはいえ、まだご近所の方と顔を合わせられないと仰っていました。

そして、復興の進む陸前高田市も見たくないとも。

「今の高田は見たくない。なんで復興しちゃうんだろう・・・。」

瓦礫が残っていてもそのままにしておいてほしかったと仰います。

嵩上げの進む市内には、家族で一緒に散歩したり買い物をしたりしたことを思い出させるよすがは何一つ残っていません。松林も公園も商店街も道路の跡も。面影を全て失った町。そこは、懐かしい故郷ではなく、赤の他人の町なのです。

●気仙沼市 仮設商店街

 夜は「はまらん家」へ。その後近くの喫茶店へ締めの飯を食べに行きました。

 帰るときに、俳優の渡辺謙さんと奥さんの南果歩さんがいらしているとお聞きし、勇気を出してサインを頂いてきました。気仙沼にお店を出していらっしゃるとのこと。

 今日も、お話をたくさんお聞きして、考えさせられる1日でした。

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