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2015年3月 8日 (日)

平成17年(2005年)11月27日 神社で「いろは」「ひふみ」を奏上することについて

平成17年(2005年)11月27日 神社で「いろは」「ひふみ」を奏上することについて

神から人へ、人から神へ。
一つの不安も少しの迷いも、捨てて放せよ、離れて逃れよ。
神との縁を信ずるならば、後は任せて、ただ行なえよ。
ことばに表わし、形に示し、体を動かし、働けよ。
先の先まで案ずるなかれ。今なすべきを、原点を、己の立つべき足元を、しかと踏みしめ、立ち返るべし。
余計の心配、取り越し苦労、全ては無益の、時の浪費よ。
人は愚かに繰り返さん。無駄なる予測と皮算用。
なれど全ては独善の、神の摂理に反するばかり。
人間中心、利潤追求、視野に入れるは物質のみ。その奥にある魂を、霊的視点を持つは少なし。

さにて本日、神社にて人の上げる祝詞について答えん。
神社は本来 神と人、神性なるを感知して、人のなすべき本分に、真(まこと)の使命に目覚めるための、神聖にして清浄なる、犯すべからぬ聖域なり。
そこにて上げる神への誓い、神との約(やく)を捧(ささ)げることば、神に全てを任せて生きる、決意の心を伝えることば。
なれば祝詞は神に捧げる、人の祈りの根幹なり。
祈りは己の願いにあらず。己の利己的望みになし。
人類全ての繁栄発展、宇宙全体、調和のために、自ら働き役立ちたきを、神に選ばれ、使われたきを、ことばに表わし、声にて発し、
己自身の気持ちを高め、神の元にも届かんことを、謹(つつし)み、畏(かしこ)み、宣(の)るものなり。
なれば人は心を正し、純粋無垢なる真白(ましろ)き心で、神の意に添(そ)い、思いに染まり、神の心に合一(ごういつ)し、
自我や利己を遠ざけて、無心にことばを唱えればよし。

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