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2016年4月 5日 (火)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日) (続き)

◎平成28年2月28日(日) 

●石巻市 大川小学校
 久しぶりに大川小学校を訪れました。
折れたコンクリートの柱、むき出しの鉄骨、ぶち抜かれた壁…。
残された校舎を見ていると、津波の破壊力にただただ圧倒され、声も出ません。
校庭からすぐの裏山には、津波が到達した地点を示す白い線が引かれています。「あそこまで登ってさえいれば…。」
ご遺族の無念の想いが胸に迫ります。
慰霊に訪れる方たちの姿が途絶えることはありませんでした。

●南三陸町 防災庁舎
 南三陸町は嵩上げが進み、もはや防災庁舎の高さを超えてしまいそうです。以前あった町の面影は、全く残っていません。土のピラミッドみたいな間を縫うように車は通り抜けます。数台、観光バスも乗り付けて来ています。
防災庁舎の赤い鉄骨が、今でも津波の凄まじさを見せつけています。
もうすぐ5年…。
時は止まっているのか、進んでいるのか。わからなくなる瞬間です。

●陸前高田市 ケアマネージャー O.Sさん
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん宅へ。昨年1月にお邪魔して以来1年ぶりです。
 震災でご主人を亡くされてからもうすぐ5年。少しずつ気持ちを整理されてきたのでしょうか。ご主人はとても仕事熱心で、人情の厚い方であったことが、話の端々から伺えます。人望があり、1週間のうち3日くらいは仕事の同僚たちがお宅に遊びにいらしていたそうです。
「玄関に赤提灯でも出しましょうかって言ったこともあるのよ」
歌がとても上手だったと懐かしそうに眼を細められます。生前のご主人のお話をされるとき、表情が和らぎます。

被災してもご自宅が無事であったために、いろいろ誤解も受けられました。世間の人たちのきつい風当たりに苦しみ、誰にも言えない辛さを呑み込んでこられた5年間。
本棚に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)という本がありました。震災関係の本の中で、唯一読んでみた本だそうです。
「大川小学校で亡くなった先生たちのご遺族も、言いたいことがあっても言えない。その気持ちがよくわかるの」
ご主人を亡くされた悲しみも、その悲しみを理解してもらえないもどかしさも、反論できない悔しさも、いつになれば癒されるのでしょうか。

いいえ、癒されることはないのかもしれません。
癒される筈がないのです。
身を切られるほどの辛い経験を、忘れられる訳がありません。
屈託のない笑顔が戻ることはないのです。
少しでも微笑む時間が長くなっていかれますように。
そう祈らずにはいられません。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。 
いろいろな方のお話を聞かせて頂くことで、様々に考えさせられました。
何のお役にも立てないのはわかっています。
被災地から心を離すことのないように、また訪問させて頂きます。

どうもありがとうございました。

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