2017年4月16日 (日)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29年3月12日(日)
 今日もすばらしい青空です。
 

●陸前高田市 O.Sさん宅
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしていらっしゃるO.Sさんのお宅へ。
 O.Sさんは、昨日はご主人様のお墓参りにご家族でいらしたそうです。
 昨年暮れ頃から体調を崩され、今は2週間に1度、盛岡市内の病院に通われているとのこと。
 ケアマネージャーのお仕事もある中、ゆっくり療養するのもままならないと思います。
 S.Tさんにだけは、本音で話すことができるのでしょう。
 家族にも話せない思いの丈を、S.Tさんにはぽつぽつと吐露されます。
  少しずつ胸につかえていた思いも軽くなり、気持ちが楽になってこられたようです。
  お暇(いとま)する頃には、顔色もよくなられたような気がします。
 暖かい春ももうすぐです。どうぞお体 お大切に。
 

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
午後はK.Kさんのところに遊びに行きました。お弁当などを買ってきて、おしゃべりです。
3ヶ月に1度、ただ遊びに行くだけなのに、いつも温かいお心遣いありがとうございます。
 

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。 

震災から丸6年。
被災地では、復興の名の下、嵩上げが進んでいます。
嵩上げに使われる土のために削られ、平らにされた山が、無残な土肌を露出しています。
海岸線の防潮堤も建設が進んでいて、海が見えなくなっている所もあります。
そんな中で目を引くのが、5~6階建ての真新しい災害公営住宅。荒野の中に立ち並びます。
山も川も海も 家も道路も、震災前とは全く異なる姿に変貌を遂げていきつつあります。
 

復興はどのような町を、この地に造り出していくのでしょう。
そこを故郷と思って懐かしむ人は、どれくらい残っているのでしょう。
思い出のよすがの消えた町。
戻っても、まぶたに残る自然も町並みもないその町を、故郷と思える人はどれくらいいるのでしょう。

故郷とは、昔のままにそこにあるもの。
幼い頃の思い出を、たちどころに蘇らせてくれるもの。
辛いとき悲しいとき、戻れば温かく迎え、包んでくれるもの。
それが故郷なのではないでしょうか。
 

5年後、10年後、震災の思い出を持たない新しい世代によって、新しい思い出が紡ぎ出されて、そこを故郷とする人たちが育っていくのでしょう・・・。

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2017年4月14日 (金)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29年3月11日(土)(続き) 

●追悼式典
 午後は気仙沼市内の追悼式典に参加させて頂きました。
 ご遺族代表の男性のお話が胸に響きます。
 震災の日。津波に巻き込まれながらも橋の欄干にしがみついて難を逃れ、一晩過ごす橋の上。
 気仙沼市内で発生した火事や決壊した川の様子が地獄絵のように目に飛び込みます。
 小雪もちらつき出しました。落ちている発泡スチロールを砕いて服の間に詰め込み、寒さと闘います。
 襲い来る睡魔。
 「お父さーん! お母さーん!・・・」
 ご両親・奥様・子供たちの名前を、必死に叫び続けます。
 それでもいつか眠りに落ちます。目が覚めたとき、頬にはうっすら雪が積もっていました。
 “助かった!“
 安堵したのも束の間。生きて再会できたのは息子さん1人だけでした。
 “どんなことがあってもこの子を育て上げて見せる!” 
 そう強く心に誓われます。
 その息子さんも4月からは高校生。関東のほうに出て行かれるとか。
 “幸せとは家族の会話にあった。”
 6年間の父としての思いが込められた言葉でした。
 

●高台住宅
 式典の後、近くの高台移転の住宅(市営牧沢住宅)を見に行きました。
 舞根地区の住宅とは異なり、ここの住宅は全て同じ企画の戸建てです。
 規則正しく整然と並ぶ、マッチ箱のように同じ形の家々。
 まるで兵舎が並んでいるみたい。
 まだ誰も住んでいないので、カーテンのない窓から、家具も何もないガランとした家の中が見通せます。
 住宅地内の真っ直ぐな道路を、風が吹き抜けます。
 ここに移り住んでくる人たちの悲しみも、思い出さえも吹き飛ばし、寄せ付けないかのようです。
 それでもやがて、ここにも多くの家族が移り住み、それぞれに新たな思い出が積み重ねられていくのでしょう。
 

●慰霊
 夕方。
 今日最後の慰霊をさせて頂きます。S.Tさんの従兄弟さんの住んでいらした家の近くでの慰霊です。
 S.Tさんの従兄弟さんも、お子さん3人とお父様(S.Tさんの叔父さん)を亡くされました。
 家から数10メートルのところで、4人を乗せた車が見つかったそうです。
 愛する子供3人と父親を一度に亡くされるという測り知れない悲しみ。
 従兄弟さんはこの3月、高台移転の住宅地に再建した家へ移られたそうです。
 新居には思い出の柱も持って行きました。
 それは、子供たちの背比べの跡が記された柱です。

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2017年4月12日 (水)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29311日(土)

 

 目が覚めると朝の太陽が部屋に射し込んでいました。 

暖房を切っていても暑いくらいです。 

真っ青な空を見ながら出発です。

 

●気仙沼市 早馬神社さん 

 午前中に正式参拝をしました。 

 時間的に余裕があるので、いつもより落ち着いて宮司さんたちとおしゃべりができました。 

 話題は、これからの復興について。 

 震災後の人口流出を心配されていました。 

 震災後に漁業を廃業された方も多いそうです。 

 日本全体に言えることですが、神社でも後継ぎがいなくて廃社するところもあるそうです。20年後には今の4割の神社がなくなるかもしれないというお話は衝撃的でした。

 ●舞根地区の高台移転 

 唐桑町の舞根(もうね)地区は、牡蠣仙人といわれる畠山重篤さんの出身地区です。この地区では防潮堤建設に地区の人が全員で反対して建設を免れました。地区の方たちは高台移転されたそうです。 

その移転先を見学してきました。 

山を切り崩して平らにした海抜40メートルくらいの高台に、新築の家が立ち並んでいます。20軒ほどでしょうか。どれもおしゃれな家ばかり。東北の漁村というより、都会の新興住宅地のようです。唐桑の民家の特徴である、少し反り返ったような赤瓦の屋根と立派な破風造りの家は見当たりません。 

 

●慰霊 

 気仙沼市内3箇所((宿浦漁港、大沢漁港、松岩漁港)で慰霊をさせて頂きました。 

 少々風は強く吹いていますが、海面はきらきら輝いています。 

 こうして慰霊させていただけることに感謝しながらの慰霊です。

 

(続きます)

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2017年4月10日 (月)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生がこの3月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。3月11日は震災後6年という事で、色々なところで追悼式が行われていました。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成2931012日)

 今回は310日(金)の夜から気仙沼に入りました。

11日は震災から6年目。追悼式典が各地で催されます。1112日の両日、震災から6年目であることを心にしっかり刻みつけながら、被災地の様子を見たいと思っています。

◎平成29310日(金)

 18時過ぎ、一関駅で岩手県職員S.Tさんに車に乗せてもらいます。気仙沼に向かって夜の道をひた走ります。いつもは気仙沼からの帰りに、夕景を眺めながら一関まで乗せて頂くので、今日は景色も違うし、ちょっと不思議な気持ちです。

 19時半、ホテルでチェックインした後、市内の居酒屋「ぴんぽん」さんへ。地元の人気店だそうです。

店の中はほぼ満席。入り口は狭いのに、店内に一歩入ると奥行きがあります。店の奥までお客さんがひしめいています。地元の方が多いのでしょう。店全体で盛り上がっている感じです。S.Tさんが予約をしていてくださったので入れましたが、そうでなければ入れなかったでしょう。

 刺身の盛り合わせには私の好きなアワビやホタテも。新鮮で歯ごたえがよく甘みもあります。11品が大体400円前後です。お店は熱気と活力に漲っています。

お客さんたちの屈託のない笑顔の裏には、様々な思いがあるのでしょう。

でも、今は今の時間を楽しむこと!

あれこれ余計なことに気を回してしまいがちな自分の背中を押されるような気がしました。

(続きます)

 

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2017年1月 9日 (月)

気仙沼だより(平成28年12月11日)

(事務局より)

皆様

あけましておめでとうございます。

本年もひふみともこ先生の公式ホームページをどうぞよろしくお願いいたします。

今年の初掲載は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成28年12月11日)

◎平成28年12月11日(日)
 今回は前日(10日)夜、気仙沼入りしたので、11日は気仙沼パークホテルを9時に出発です。
 昨夜は小雪も降ったらしく、被災地の嵩上げした土地もうっすら雪をかぶっています。
 今朝の空は快晴。雲ひとつない真っ青な空に、雪化粧した室根山が美しく映えます。
 市内では次々新しい道路が開通したり、工事中だったりで、地元の人でも迷ったりすることがあるそうです。
 まだ何も建っていない、道らしき道もない(多分、地元の人でもよくわからない道があるのでしょう)雪の原っぱを車は走ります。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時30分、階上公民館へ。管理人のK.Kさんのところに遊びに行きます。
K.Kさんはもと漁船の船員さん。もう80歳近いのに、この間も夜釣りに行ってアイナメをたくさん釣ったとか。
今回もいろいろお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。

●慰霊
 高さ11.3メートルの防潮堤が、内湾の海岸と海との間に立ちはだかります。
海岸からは、防潮堤にさえぎられて、せっかくの美しい内湾の海や入り組んで重なり合う半島は見渡せません。
 景観を損ねるだけでなく、海の生態系への影響も心配です。
 日本人の古来受け継がれて来た知恵は、科学や建築技術の前では全く省みられることはないのです。
 気仙沼市内の3箇所(荒谷前海岸、石浜漁港、鮪立漁港)で慰霊をさせて頂きました。
 内湾の海は穏やかです。
太陽の光が眩しく照り付けます。
海面から照り返す日の光もまたさらに眩しく、目を開けていられないほどです。
冬の冷たい風の中、犠牲になられた御魂に感謝を込めて慰霊させて頂きました。
 

   
●気仙沼市 早馬神社さん
 年末で、宮司様はお留守でした。早馬神社さんでは年始のために各家に紙垂(しで)というのを配ります。その紙垂つくりは、いつも3月くらいから始められるとか。
 紙垂の種類は60種類ほどもあるそうです。作り方は代々宮司家で伝承するのです。
 歴史の重み、日本文化の奥深さを感じます。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。
1日だけの短い滞在でしたが、慰霊もできて心が軽くなったような気がします。
慰霊とは、亡くなった方たちだけのためでなく、生きている者の魂も慰めてくれるのですね。
本当にありがとうございました

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2016年11月 6日 (日)

気仙沼だより(平成28年10月1,2日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

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気仙沼だより(平成281012日)

◎平成28101日(土)

 4ヶ月ぶりの気仙沼。今回は夫とワンコ2匹で参りました。この2週間ほどずっと雨模様だったので、秋晴れの空はことのほか高く爽やかに感じます。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館

 930分、階上公民館へ。管理人のK.Kさんが迎えてくださいます。

 秋は文化的な行事が多いせいでしょうか、公民館の利用者もいつもより多いようです。K.Kさんも、しょっちゅう席を立ちます。

 今回はK.Kさんが若かりし頃、神宮球場で野球をしたことがあることをお聞きしました。

小学校4年生のときから3年ほど東京に丁稚奉公に出たそうです。他にも何回か東京に働きに出たそうですが、当時の町の名前、路地の名前、駅の名前、人の名前。まるでつい最近まで何十年も住んでいたかのように細かく覚えていらっしゃいます。いつものことながら、記憶力のよさには舌を巻きます。

辛かったことや楽しかったことを話すとき、遥か遠くを見晴るかすようなK.Kさんの目を見ているのが大好きです。

●慰霊

 気仙沼市内2箇所(旭崎、大谷海岸)で慰霊をさせて頂きました。

 秋晴れの元、津波が襲ったことが嘘のような穏やかな海です。

(続きます)

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2016年7月24日 (日)

気仙沼だより(平成28年6月11,12日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

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気仙沼だより(平成28年6月11,12日)

◎平成28年6月11日(土)


 14時半、気仙沼に着きました。月命日の今日、久々に慰霊ができればと思います。また、ご縁のある方たちにもお会いしたいと思います。
 
●陸前高田市 ケアマネージャー O.Sさん
 陸前高田市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん。今回で3回目の訪問です。
 O.Sさんは震災の津波でご主人を亡くされました。震災後2年間は周囲の人が声をかけるのも憚(はばか)られるようなご様子だったとか。今でも決して晴れやかな笑顔ではありませんが、お話の端々で顔に笑みが差します。ご主人の武勇伝ともなると、笑い声さえ立てながらお話になります。
 生前のご主人を懐かしく思い出せる時を、取り戻されつつあるのかもしれません。
こうして訪問することで、少しでもそのお手伝いができればと願うばかりです。

●慰霊
 陸前高田市内(脇ノ沢漁港・長部(おさべ)漁港)で慰霊をさせて頂きました。
海岸では10メートル以上もある防潮堤が完成間近です。もう海は見えません。
高田の松原は復興されることはありませんでした。
松原は思い出の中の風景となりました。

 復興の掛け声の下、急速に変貌していく町、海、山。
思い出や記憶のよすがは殆ど失われています。
被災者の時間は、被災者それぞれに、時計とは別の速さで流れています。

◎平成28年6月12日(日) 


●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時、階上公民館へ。
 公民館で管理人をされているK.Kさんとおしゃべりしました。
K.Kさんとおしゃべりしていると、気持ちが大きくなります。つまらないことをくよくよしている場合じゃないと目が覚めます。
荒波の中で、苦労を苦労とも思わず生き抜いてこられた方のお話を聞いていると、自分ももっと深く濃い人生を送りたいという勇気が湧いてきます。

●慰霊
 気仙沼市内(浦の浜漁港、松岩漁港、大浦地区)で慰霊をさせて頂きました。
海辺には釣りをする人の姿もちらほら見られます。
のどかな初夏の海辺です。
あと数年も経てば、海水浴を楽しむ家族連れも現れるのかもしれません。
それが当たり前の光景になる時は、そう遠くないのかもしれません。
  
●気仙沼市 早馬神社さん
 15時近く、早馬神社さんに参拝しました。
梶原忠利宮司さんと奥様に迎えて頂きます。
ウグイスやホトトギスの声が、間近に聞こえます。
少し傾きかけた太陽の木漏れ日が、金色の光線となって射し入ります。
宮司様、奥様の穏やかな笑顔に見送られて、神社を後にしました。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。
短い訪問でしたが、中身はぎゅっと詰まっています。
どうもありがとうございました。

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2016年4月 5日 (火)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日) (続き)

◎平成28年2月28日(日) 

●石巻市 大川小学校
 久しぶりに大川小学校を訪れました。
折れたコンクリートの柱、むき出しの鉄骨、ぶち抜かれた壁…。
残された校舎を見ていると、津波の破壊力にただただ圧倒され、声も出ません。
校庭からすぐの裏山には、津波が到達した地点を示す白い線が引かれています。「あそこまで登ってさえいれば…。」
ご遺族の無念の想いが胸に迫ります。
慰霊に訪れる方たちの姿が途絶えることはありませんでした。

●南三陸町 防災庁舎
 南三陸町は嵩上げが進み、もはや防災庁舎の高さを超えてしまいそうです。以前あった町の面影は、全く残っていません。土のピラミッドみたいな間を縫うように車は通り抜けます。数台、観光バスも乗り付けて来ています。
防災庁舎の赤い鉄骨が、今でも津波の凄まじさを見せつけています。
もうすぐ5年…。
時は止まっているのか、進んでいるのか。わからなくなる瞬間です。

●陸前高田市 ケアマネージャー O.Sさん
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん宅へ。昨年1月にお邪魔して以来1年ぶりです。
 震災でご主人を亡くされてからもうすぐ5年。少しずつ気持ちを整理されてきたのでしょうか。ご主人はとても仕事熱心で、人情の厚い方であったことが、話の端々から伺えます。人望があり、1週間のうち3日くらいは仕事の同僚たちがお宅に遊びにいらしていたそうです。
「玄関に赤提灯でも出しましょうかって言ったこともあるのよ」
歌がとても上手だったと懐かしそうに眼を細められます。生前のご主人のお話をされるとき、表情が和らぎます。

被災してもご自宅が無事であったために、いろいろ誤解も受けられました。世間の人たちのきつい風当たりに苦しみ、誰にも言えない辛さを呑み込んでこられた5年間。
本棚に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)という本がありました。震災関係の本の中で、唯一読んでみた本だそうです。
「大川小学校で亡くなった先生たちのご遺族も、言いたいことがあっても言えない。その気持ちがよくわかるの」
ご主人を亡くされた悲しみも、その悲しみを理解してもらえないもどかしさも、反論できない悔しさも、いつになれば癒されるのでしょうか。

いいえ、癒されることはないのかもしれません。
癒される筈がないのです。
身を切られるほどの辛い経験を、忘れられる訳がありません。
屈託のない笑顔が戻ることはないのです。
少しでも微笑む時間が長くなっていかれますように。
そう祈らずにはいられません。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。 
いろいろな方のお話を聞かせて頂くことで、様々に考えさせられました。
何のお役にも立てないのはわかっています。
被災地から心を離すことのないように、また訪問させて頂きます。

どうもありがとうございました。

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2016年4月 4日 (月)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日) (続き)

◎平成28年2月27日(土) 

●気仙沼市 早馬神社さん
 8時半過ぎ、早馬神社さんに参拝しました。
震災から5年目を迎える今年。神社でもいろいろな行事を企画されているそうです。
復興の先は見通せなくとも、信じて前に進むしかない。
5年経っても殆ど何も変わらない現状に愚痴をこぼすことなく、淡々と地域のためにご尽力される梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんのお話を伺っていると、こちらの心も粛然としてきます。
津波を耐えた参道の椿が、朝日の淡い光を受けて蕾をのぞかせていました。

●陸前高田市 気仙大工左官伝承館
 10時半に気仙大工左官伝承館に到着しました。ひな祭りの菱餅を作るために糯(もち)米(ごめ)を蒸しているところでした。
いい香りです。味見をさせて頂きました。小豆抜きのお赤飯みたいな味がします。
【高田人形】
壁際のガラスケースには高田人形が20体ほど陳列してあります。高田人形というのは高さ15センチくらいの粘土製の人形です。粘土を円錐形に固めたものに、赤い着物が彩色され梅の模様が描かれています。頭は黒く塗られただけで、顔もとても素朴です。何より驚いたのは、彩色が人形の前面だけということです。後ろ半分は何も描かれていません。赤い染料が非常に貴重であったからだそうです。
戦前までは作られていましたが、その後は作られておらず、残っていたものも多くは津波で流されてしまいました。粘土製ですが焼かれていないため、海水に溶けたり壊れてしまったのです。
人形を買ってもらうこともままならなかった貧しい時代。前面だけに顔や着物が施されたお人形を飾るひな祭り。女の子たちは、春の訪れとともにひな祭りを心待ちにしていたのでしょう。柔らかい陽射しの中で宝物のように人形を愛(いと)しむ少女と、その少女に注がれる家族の眼差し。
素朴な人形にまつわる家族の姿が、心に灯を灯してくれるようでした。

【被災者支援の日々の中で】
語り部の武藏裕子さんは震災から2週間、伝承館に避難してきた地域の方たちのために、ご自宅にあった食べ物で炊き出しをしたり、伝承館内で暖を取るための囲炉裏の火を、一晩中寝ずに守ったりと尽力されました。
ご家族とご自宅は無事であり、それがひとつの活力源となったのでしょう。
かといって、決して生活が楽であった訳ではありません。水道・電気・ガス全て止まっているのですから。
お風呂にも1か月入れませんでした。自衛隊の方たちが設営してくれた臨時のお風呂にも、周囲の視線に気兼ねして入りに行くことはできませんでした。

心無い一言に打ちのめされたこともありました。
「武蔵さんはいいわよね。家族も無事だったし、家も流されなかったんだから」
落ち込んでいる友達を励ますつもりで掛けた言葉が、相手の気持ちを逆なでしてしまったことも。深まっていく心の溝…。

避難してきた人たちの生活を無我夢中で支えてきた武蔵さんですが、それもひと段落し、緊張も少し緩んできた頃のこと。もしかしたら自分も夫を亡くしていたかもしれないという恐怖に襲われます。夜中、隣に眠るご主人の足をさすって「本当に生きているんだよね? 大丈夫なんだよね?」と、大泣きしてしまったこともたびたびあったそうです。

助かった人たちも、決して傷つかなかったわけではありません。
もしかしたら、自分も、家族も、死んでいたかもしれない…。
目の前で多くの人が津波に巻き込まれて行くのを目の当たりにし、生と死との狭間で九死に一生を得た体験は、今でも心を蝕(むしば)み、痛めつけるのです。
助かってよかった、運がよかった、などといって、安堵し喜ぶことなど、到底できないのです。

被災者だからこそ語れるお話に、思わず涙を誘われました。
家族が無事でいることの尊さを改めて教えてもらいました。
ありがとうございました。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 13時半過ぎ、階上公民館へ。
 公民館で管理人をされているK.Kさん。お元気そうでよかったです。今回も船乗り時代のお話を伺いました。
 
●気仙沼市 仮設商店街
 夜は仮設商店街 復興小町「里」さんへ。
気仙沼の海の幸を堪能しました。ご馳走様でした。

(続きます)

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2016年4月 3日 (日)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日)

(事務局より)

本日より、ひふみともこ先生からいただきました本年2月の「気仙沼だより」を数回に分けてお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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◎平成28年2月26日(金) 

●気仙沼市 「福よし」
 半年ぶりの気仙沼です。報告は書きませんでしたが、昨年の9月にも気仙沼を訪問しました。
 一ノ関から大船渡線に乗り、14時過ぎに気仙沼駅に到着。今回は大学院生のH.Yさんと、夫、ワンコ2匹連れです。まずはワンコをホテルに預けに行きます。その後、宿泊先のビジネスホテルにチェックインし、しばし休憩。
 夕飯は18時から、「福よし」さんへ。
「福よし」さんも震災でお店が全壊したそうですが、今は再建して営業されています。震災前から有名なお店で、『美味しんぼ』という漫画で焼き魚を紹介されたほどです。予約しないと入れないこともある人気店です。
 お任せコースを注文しました。とても新鮮なお刺身、イカ腑を陶板の上で焼いたもの、焼き魚、次々運ばれる魚介類は、まさに海の町という感じです。
 再建するか否かはずいぶん迷われたそうです。しかし、せっかく再建されたにもかかわらず、復興計画で整備する道路に1.5メートルお店がひっかかるということで、取り壊さなければいけないとか。
ひどい話です。復興計画の前に再建されているのであれば、今ある建造物を優先して道路を通すべきではないでしょうか。
 カウンター内のご主人も、お店の中は繁盛しているのに表情は曇りがちです。住んでいる人たちの希望や意志が反映されない復興計画の一端が垣間見えます。復興という名の下に渦巻く様々な矛盾や不条理。
声にならない人々の呻きが聞こえてくるようです。

(続きます)

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