2017年1月 9日 (月)

気仙沼だより(平成28年12月11日)

(事務局より)

皆様

あけましておめでとうございます。

本年もひふみともこ先生の公式ホームページをどうぞよろしくお願いいたします。

今年の初掲載は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成28年12月11日)

◎平成28年12月11日(日)
 今回は前日(10日)夜、気仙沼入りしたので、11日は気仙沼パークホテルを9時に出発です。
 昨夜は小雪も降ったらしく、被災地の嵩上げした土地もうっすら雪をかぶっています。
 今朝の空は快晴。雲ひとつない真っ青な空に、雪化粧した室根山が美しく映えます。
 市内では次々新しい道路が開通したり、工事中だったりで、地元の人でも迷ったりすることがあるそうです。
 まだ何も建っていない、道らしき道もない(多分、地元の人でもよくわからない道があるのでしょう)雪の原っぱを車は走ります。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時30分、階上公民館へ。管理人のK.Kさんのところに遊びに行きます。
K.Kさんはもと漁船の船員さん。もう80歳近いのに、この間も夜釣りに行ってアイナメをたくさん釣ったとか。
今回もいろいろお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。

●慰霊
 高さ11.3メートルの防潮堤が、内湾の海岸と海との間に立ちはだかります。
海岸からは、防潮堤にさえぎられて、せっかくの美しい内湾の海や入り組んで重なり合う半島は見渡せません。
 景観を損ねるだけでなく、海の生態系への影響も心配です。
 日本人の古来受け継がれて来た知恵は、科学や建築技術の前では全く省みられることはないのです。
 気仙沼市内の3箇所(荒谷前海岸、石浜漁港、鮪立漁港)で慰霊をさせて頂きました。
 内湾の海は穏やかです。
太陽の光が眩しく照り付けます。
海面から照り返す日の光もまたさらに眩しく、目を開けていられないほどです。
冬の冷たい風の中、犠牲になられた御魂に感謝を込めて慰霊させて頂きました。
 

   
●気仙沼市 早馬神社さん
 年末で、宮司様はお留守でした。早馬神社さんでは年始のために各家に紙垂(しで)というのを配ります。その紙垂つくりは、いつも3月くらいから始められるとか。
 紙垂の種類は60種類ほどもあるそうです。作り方は代々宮司家で伝承するのです。
 歴史の重み、日本文化の奥深さを感じます。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。
1日だけの短い滞在でしたが、慰霊もできて心が軽くなったような気がします。
慰霊とは、亡くなった方たちだけのためでなく、生きている者の魂も慰めてくれるのですね。
本当にありがとうございました

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2016年11月 6日 (日)

気仙沼だより(平成28年10月1,2日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼だより(平成281012日)

◎平成28101日(土)

 4ヶ月ぶりの気仙沼。今回は夫とワンコ2匹で参りました。この2週間ほどずっと雨模様だったので、秋晴れの空はことのほか高く爽やかに感じます。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館

 930分、階上公民館へ。管理人のK.Kさんが迎えてくださいます。

 秋は文化的な行事が多いせいでしょうか、公民館の利用者もいつもより多いようです。K.Kさんも、しょっちゅう席を立ちます。

 今回はK.Kさんが若かりし頃、神宮球場で野球をしたことがあることをお聞きしました。

小学校4年生のときから3年ほど東京に丁稚奉公に出たそうです。他にも何回か東京に働きに出たそうですが、当時の町の名前、路地の名前、駅の名前、人の名前。まるでつい最近まで何十年も住んでいたかのように細かく覚えていらっしゃいます。いつものことながら、記憶力のよさには舌を巻きます。

辛かったことや楽しかったことを話すとき、遥か遠くを見晴るかすようなK.Kさんの目を見ているのが大好きです。

●慰霊

 気仙沼市内2箇所(旭崎、大谷海岸)で慰霊をさせて頂きました。

 秋晴れの元、津波が襲ったことが嘘のような穏やかな海です。

(続きます)

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2016年7月24日 (日)

気仙沼だより(平成28年6月11,12日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

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気仙沼だより(平成28年6月11,12日)

◎平成28年6月11日(土)


 14時半、気仙沼に着きました。月命日の今日、久々に慰霊ができればと思います。また、ご縁のある方たちにもお会いしたいと思います。
 
●陸前高田市 ケアマネージャー O.Sさん
 陸前高田市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん。今回で3回目の訪問です。
 O.Sさんは震災の津波でご主人を亡くされました。震災後2年間は周囲の人が声をかけるのも憚(はばか)られるようなご様子だったとか。今でも決して晴れやかな笑顔ではありませんが、お話の端々で顔に笑みが差します。ご主人の武勇伝ともなると、笑い声さえ立てながらお話になります。
 生前のご主人を懐かしく思い出せる時を、取り戻されつつあるのかもしれません。
こうして訪問することで、少しでもそのお手伝いができればと願うばかりです。

●慰霊
 陸前高田市内(脇ノ沢漁港・長部(おさべ)漁港)で慰霊をさせて頂きました。
海岸では10メートル以上もある防潮堤が完成間近です。もう海は見えません。
高田の松原は復興されることはありませんでした。
松原は思い出の中の風景となりました。

 復興の掛け声の下、急速に変貌していく町、海、山。
思い出や記憶のよすがは殆ど失われています。
被災者の時間は、被災者それぞれに、時計とは別の速さで流れています。

◎平成28年6月12日(日) 


●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時、階上公民館へ。
 公民館で管理人をされているK.Kさんとおしゃべりしました。
K.Kさんとおしゃべりしていると、気持ちが大きくなります。つまらないことをくよくよしている場合じゃないと目が覚めます。
荒波の中で、苦労を苦労とも思わず生き抜いてこられた方のお話を聞いていると、自分ももっと深く濃い人生を送りたいという勇気が湧いてきます。

●慰霊
 気仙沼市内(浦の浜漁港、松岩漁港、大浦地区)で慰霊をさせて頂きました。
海辺には釣りをする人の姿もちらほら見られます。
のどかな初夏の海辺です。
あと数年も経てば、海水浴を楽しむ家族連れも現れるのかもしれません。
それが当たり前の光景になる時は、そう遠くないのかもしれません。
  
●気仙沼市 早馬神社さん
 15時近く、早馬神社さんに参拝しました。
梶原忠利宮司さんと奥様に迎えて頂きます。
ウグイスやホトトギスの声が、間近に聞こえます。
少し傾きかけた太陽の木漏れ日が、金色の光線となって射し入ります。
宮司様、奥様の穏やかな笑顔に見送られて、神社を後にしました。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。
短い訪問でしたが、中身はぎゅっと詰まっています。
どうもありがとうございました。

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2016年4月 5日 (火)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日) (続き)

◎平成28年2月28日(日) 

●石巻市 大川小学校
 久しぶりに大川小学校を訪れました。
折れたコンクリートの柱、むき出しの鉄骨、ぶち抜かれた壁…。
残された校舎を見ていると、津波の破壊力にただただ圧倒され、声も出ません。
校庭からすぐの裏山には、津波が到達した地点を示す白い線が引かれています。「あそこまで登ってさえいれば…。」
ご遺族の無念の想いが胸に迫ります。
慰霊に訪れる方たちの姿が途絶えることはありませんでした。

●南三陸町 防災庁舎
 南三陸町は嵩上げが進み、もはや防災庁舎の高さを超えてしまいそうです。以前あった町の面影は、全く残っていません。土のピラミッドみたいな間を縫うように車は通り抜けます。数台、観光バスも乗り付けて来ています。
防災庁舎の赤い鉄骨が、今でも津波の凄まじさを見せつけています。
もうすぐ5年…。
時は止まっているのか、進んでいるのか。わからなくなる瞬間です。

●陸前高田市 ケアマネージャー O.Sさん
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしているO.Sさん宅へ。昨年1月にお邪魔して以来1年ぶりです。
 震災でご主人を亡くされてからもうすぐ5年。少しずつ気持ちを整理されてきたのでしょうか。ご主人はとても仕事熱心で、人情の厚い方であったことが、話の端々から伺えます。人望があり、1週間のうち3日くらいは仕事の同僚たちがお宅に遊びにいらしていたそうです。
「玄関に赤提灯でも出しましょうかって言ったこともあるのよ」
歌がとても上手だったと懐かしそうに眼を細められます。生前のご主人のお話をされるとき、表情が和らぎます。

被災してもご自宅が無事であったために、いろいろ誤解も受けられました。世間の人たちのきつい風当たりに苦しみ、誰にも言えない辛さを呑み込んでこられた5年間。
本棚に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)という本がありました。震災関係の本の中で、唯一読んでみた本だそうです。
「大川小学校で亡くなった先生たちのご遺族も、言いたいことがあっても言えない。その気持ちがよくわかるの」
ご主人を亡くされた悲しみも、その悲しみを理解してもらえないもどかしさも、反論できない悔しさも、いつになれば癒されるのでしょうか。

いいえ、癒されることはないのかもしれません。
癒される筈がないのです。
身を切られるほどの辛い経験を、忘れられる訳がありません。
屈託のない笑顔が戻ることはないのです。
少しでも微笑む時間が長くなっていかれますように。
そう祈らずにはいられません。

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。 
いろいろな方のお話を聞かせて頂くことで、様々に考えさせられました。
何のお役にも立てないのはわかっています。
被災地から心を離すことのないように、また訪問させて頂きます。

どうもありがとうございました。

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2016年4月 4日 (月)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日) (続き)

◎平成28年2月27日(土) 

●気仙沼市 早馬神社さん
 8時半過ぎ、早馬神社さんに参拝しました。
震災から5年目を迎える今年。神社でもいろいろな行事を企画されているそうです。
復興の先は見通せなくとも、信じて前に進むしかない。
5年経っても殆ど何も変わらない現状に愚痴をこぼすことなく、淡々と地域のためにご尽力される梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんのお話を伺っていると、こちらの心も粛然としてきます。
津波を耐えた参道の椿が、朝日の淡い光を受けて蕾をのぞかせていました。

●陸前高田市 気仙大工左官伝承館
 10時半に気仙大工左官伝承館に到着しました。ひな祭りの菱餅を作るために糯(もち)米(ごめ)を蒸しているところでした。
いい香りです。味見をさせて頂きました。小豆抜きのお赤飯みたいな味がします。
【高田人形】
壁際のガラスケースには高田人形が20体ほど陳列してあります。高田人形というのは高さ15センチくらいの粘土製の人形です。粘土を円錐形に固めたものに、赤い着物が彩色され梅の模様が描かれています。頭は黒く塗られただけで、顔もとても素朴です。何より驚いたのは、彩色が人形の前面だけということです。後ろ半分は何も描かれていません。赤い染料が非常に貴重であったからだそうです。
戦前までは作られていましたが、その後は作られておらず、残っていたものも多くは津波で流されてしまいました。粘土製ですが焼かれていないため、海水に溶けたり壊れてしまったのです。
人形を買ってもらうこともままならなかった貧しい時代。前面だけに顔や着物が施されたお人形を飾るひな祭り。女の子たちは、春の訪れとともにひな祭りを心待ちにしていたのでしょう。柔らかい陽射しの中で宝物のように人形を愛(いと)しむ少女と、その少女に注がれる家族の眼差し。
素朴な人形にまつわる家族の姿が、心に灯を灯してくれるようでした。

【被災者支援の日々の中で】
語り部の武藏裕子さんは震災から2週間、伝承館に避難してきた地域の方たちのために、ご自宅にあった食べ物で炊き出しをしたり、伝承館内で暖を取るための囲炉裏の火を、一晩中寝ずに守ったりと尽力されました。
ご家族とご自宅は無事であり、それがひとつの活力源となったのでしょう。
かといって、決して生活が楽であった訳ではありません。水道・電気・ガス全て止まっているのですから。
お風呂にも1か月入れませんでした。自衛隊の方たちが設営してくれた臨時のお風呂にも、周囲の視線に気兼ねして入りに行くことはできませんでした。

心無い一言に打ちのめされたこともありました。
「武蔵さんはいいわよね。家族も無事だったし、家も流されなかったんだから」
落ち込んでいる友達を励ますつもりで掛けた言葉が、相手の気持ちを逆なでしてしまったことも。深まっていく心の溝…。

避難してきた人たちの生活を無我夢中で支えてきた武蔵さんですが、それもひと段落し、緊張も少し緩んできた頃のこと。もしかしたら自分も夫を亡くしていたかもしれないという恐怖に襲われます。夜中、隣に眠るご主人の足をさすって「本当に生きているんだよね? 大丈夫なんだよね?」と、大泣きしてしまったこともたびたびあったそうです。

助かった人たちも、決して傷つかなかったわけではありません。
もしかしたら、自分も、家族も、死んでいたかもしれない…。
目の前で多くの人が津波に巻き込まれて行くのを目の当たりにし、生と死との狭間で九死に一生を得た体験は、今でも心を蝕(むしば)み、痛めつけるのです。
助かってよかった、運がよかった、などといって、安堵し喜ぶことなど、到底できないのです。

被災者だからこそ語れるお話に、思わず涙を誘われました。
家族が無事でいることの尊さを改めて教えてもらいました。
ありがとうございました。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 13時半過ぎ、階上公民館へ。
 公民館で管理人をされているK.Kさん。お元気そうでよかったです。今回も船乗り時代のお話を伺いました。
 
●気仙沼市 仮設商店街
 夜は仮設商店街 復興小町「里」さんへ。
気仙沼の海の幸を堪能しました。ご馳走様でした。

(続きます)

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2016年4月 3日 (日)

気仙沼だより(平成28年2月26・27・28日)

(事務局より)

本日より、ひふみともこ先生からいただきました本年2月の「気仙沼だより」を数回に分けてお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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◎平成28年2月26日(金) 

●気仙沼市 「福よし」
 半年ぶりの気仙沼です。報告は書きませんでしたが、昨年の9月にも気仙沼を訪問しました。
 一ノ関から大船渡線に乗り、14時過ぎに気仙沼駅に到着。今回は大学院生のH.Yさんと、夫、ワンコ2匹連れです。まずはワンコをホテルに預けに行きます。その後、宿泊先のビジネスホテルにチェックインし、しばし休憩。
 夕飯は18時から、「福よし」さんへ。
「福よし」さんも震災でお店が全壊したそうですが、今は再建して営業されています。震災前から有名なお店で、『美味しんぼ』という漫画で焼き魚を紹介されたほどです。予約しないと入れないこともある人気店です。
 お任せコースを注文しました。とても新鮮なお刺身、イカ腑を陶板の上で焼いたもの、焼き魚、次々運ばれる魚介類は、まさに海の町という感じです。
 再建するか否かはずいぶん迷われたそうです。しかし、せっかく再建されたにもかかわらず、復興計画で整備する道路に1.5メートルお店がひっかかるということで、取り壊さなければいけないとか。
ひどい話です。復興計画の前に再建されているのであれば、今ある建造物を優先して道路を通すべきではないでしょうか。
 カウンター内のご主人も、お店の中は繁盛しているのに表情は曇りがちです。住んでいる人たちの希望や意志が反映されない復興計画の一端が垣間見えます。復興という名の下に渦巻く様々な矛盾や不条理。
声にならない人々の呻きが聞こえてくるようです。

(続きます)

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2015年8月 7日 (金)

気仙沼だより(31)

(事務局より)

皆様

本日はひふみともこ先生が東日本大震災の直後から、慰霊の一環として行っておられます東北地方での活動のご様子を「気仙沼だより」としてお送りさせていただきます。

亡くなった方たちのためだけではなく、生き残った方々を励まし、なぜ残されたのか、に気づいていただくことも慰霊である、という神様のお言葉を実行されています。

それでは7月のご訪問の様子を以下に掲載させていただきます。

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気仙沼の報告㉛(平成2771920日)

◎平成27719日 

昨日夜に気仙沼に来ていたので、朝は8時半までゆっくりホテルで過ごすことができました。

今回も学生7名が参加します。新潟や山形・群馬など様々なところから集まってくれました。中心的に活躍してくれたのは3回目の参加となるK.Tさん、女子学生です。今時の若者には珍しいくらいに気配りも細やかで礼儀正しい学生さんです。

 9時に駅前で集合して出発です。

●気仙沼市 共徳丸跡

 まずは気仙沼市内の被害状況を学生たちに説明するために、共徳丸のあった場所に向かいます。共徳丸そのものは撤去され、その跡地に津波の来た高さまで盛り土をしてあります。盛り土の高さは3.5メートルくらいでしょうか。献花台もあります。当時の市内で発生した火災を示す写真なども展示してあります。盛り土の上は展望台のようになっており、市内の嵩上げがかなり進んでいることが見て取れます。

●陸前高田市 ベルトコンベア

 今市内で最も目を引くのは、高さ10メートルくらいの中空に広がる全長3キロにも及ぶベルトコンベアでしょう。青空の下、ベルトコンベアが銀色に光ります。

一見、遊園地のジェットコースターのようでもあります。近くの山を切り崩し、その土を市内に運んで嵩上げをするためです。このベルトコンベアのおかげで、嵩上げは3倍も速く進んで いるそうです。

この光景を目にするたびに、暗澹たる気持ちになります。

 そこまでして嵩上げする必要があるのかという疑問が湧いてきます。

ベルトコンベアを作るだけでも相当のお金がかかったことでしょう。

そんな莫大なお金と膨大な労力を使うくらいなら、もっと別の防災の仕方にお金をかけたほうがいいのではないでしょうか。

自然の山を切り崩して、生態系に影響はないのでしょうか。

何千年も前からそこにあった山や森を、そんなに簡単に切り崩していいのでしょうか。

今回も高台(近くのそうした山々)に逃げて助かった方も大勢いらっしゃるのに、それを切り崩してしまったら避難する山がなくなってしまうのではないでしょうか。

森が消滅すれば、別の災害、例えば土石流などが起きる恐れはないのでしょうか。

嵩上げをしたところは本当に安全なのでしょうか。液状化などの心配はないのでしょうか。 嵩上げしたところには住みたくないという声も聞かれるそうです。

今回の津波よりも高く嵩上げしたそうですが、嵩上げした土地の高さよりも高い津波が来ないという保証は何もないのです。

 これが復興なのでしょうか?

 自然と共に生きる人間のするべきことなのでしょうか?

 今回の震災から本当に学ぶべきことを学んだと言えるのでしょうか?

●陸前高田市 気仙大工左官伝承館

 10時半に気仙大工左官伝承館に到着。語り部の武藏裕子さんに、当時の様子などを語って頂きます。

 震災当日も武藏さんはこの伝承館にいらっしゃって、津波の様子をしっかりと見届けられた

そうです。広田湾の海水が引いて行き、次に真っ黒い濁流が押し寄せてきました。水煙を

上げながら家や車が巻き込まれていきます。立っていられないくらいの激しい揺れが続きます。

 目の前で繰り広げられる惨状から目をそらそうとしたとき、「目をそらすな。しっかりと見よ。そして後世に伝えよ」という声が、耳元から聞こえたそうです。

 「津波てんでんこ」津波が来たら、とにかく逃げること。まずは自分の身を守ること。

 学生たちは声もなく聞き入っています。

 武蔵さんの思いは、学生たちの胸の奥まで届いたことでしょう。

 ありがとうございました。

●陸前高田市 O.Fさん宅

 O.Fさんの仮設住を訪問するのは何度目でしょうか。来週には新居に引っ越されるので、学生たちが仮設住宅に入れる最後の機会となりました。

 新居に移られるのですから、さぞ晴れ晴れと喜んでいらっしゃるかと思いきや、毎日悶々とした悩みを抱えていらっしゃるそうです。これまで親しく言葉を交わしていたご近所の方たちが急によそよそしくなられたとか。これまで苦楽を共にしてきた仲なのですから、O.Fさんにとっては身を切られるように辛いことでしょう。

一方、ご近所の方たちの心中も察せられます。

これまで何かと頼ってきた、仮設の中心的存在のO.Fさんが仮設を去ることの喪失感・空しさ・淋しさ・取り残されていく不安・焦り・嫉妬など、言葉では表せない複雑な胸中だと思います。

「仲間」だからこそ、これまで腹を割って話し合ってこられたのに、「仲間」でなくなっていくと思った時から心を開けなくなってしまい、それを自分でもどう処理していいのかわからないもどかしさもあるのかもしれません。

表面的なお付き合いだけだったなら、お愛想笑いで取り繕うこともできたでしょうが、それさえできない苛立ち、腹立たしさ、切なさ、やるせなさも混じり合っているのかもしれません。

 仮設を去る人。残される人。

それぞれの胸の奥深くに、どこにも、誰にもぶつけられない様々な思いが渦巻いています。

それらの思いを呑み込んで、復興は進んでいきます。

●気仙沼市 仮設商店街

 夜は復興屋台村の「はまらんや」さんへ。

それぞれに感じたことを話し合ったりして、親睦を深めました。

 今日1日お疲れ様でした。

 

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2015年6月14日 (日)

気仙沼だより(30)

気仙沼の報告㉚(平成27年5月17日)

◎平成27年5月17日 
7時18分一ノ関発の大船渡線車窓から初夏の日差しが射し込みます。沿線では、つつじや山藤がそこかしこに見られました。
4か月ぶりの気仙沼。新鮮です。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 9時半過ぎ、階上公民館へ。
公民館で管理人をされているK.Kさんのお話を聞くのが、気仙沼訪問の1つの楽しみです。
K.Kさんのお宅には近所の小学生が5~6人、毎日遊びに来るそうです。それが20年以上も続いていて、昔来ていた人のお子さんが来ているとのこと。
K.Kさんは子供にも人気者なんですね。
毎日午後10時過ぎに戸締りをして帰り、朝は4時に起きられるとか。
山菜取りの話など、楽しいお話を今回もありがとうございました。
また7月に遊びに来ますね。

●気仙沼市内
 市内3か所で慰霊をさせて頂きました。空は真っ青に晴れ上がっていますが、風が強くてお供えが吹き飛ばされてしまいます。
日曜日なので嵩上げの工事もお休み。
人通りの少ない海辺の道に、鷗が数十羽 羽を休めて日向ぼっこ。
長閑(のどか)な風景です。

●気仙沼市 早馬神社
 午後3時半過ぎ。早馬神社さんへ。神社境内には鶯の声。傾きかけた太陽の光が木々の間から漏れ込んできます。
社報を頂きました。伊勢神宮では衣食住全てが神事であることが書かれています。日本の伝統の奥深さを知り、感謝の想いが湧いてまいります。皆さんも是非ご覧ください。

参拝後、神社を辞して、傾きかけた太陽の光も眩しい道を、一路 一ノ関へ。
穏やかな1日でした。
今回も、岩手県職員S.Tさん、大変お世話になりました。 
どうもありがとうございました。

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2015年2月17日 (火)

気仙沼だより(29)のダウンロード

気仙沼だより(29)のダウンロードはこちらからどうぞ↓

「kesen_numa_29.pdf」をダウンロード

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2015年2月16日 (月)

気仙沼だより(29) (続き)

◎平成27112

 

●気仙沼市 杉ノ下地区

最初に杉の下地区を訪れました。犠牲になられた93名お名前が刻まれた碑の前で献花をしました。

 

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館

 9時半過ぎ、階上公民館のK.Kさんのところへ。

 昼前にはさんまを使ったお雑煮をご馳走になりました。

 今回も船乗り時代のお話をたくさん聞くことができました。ありがとうございました。

 

●気仙沼市 仮設商店街

お昼は、仮設商店街の特急寿司さんへ。2年以上前にお邪魔して、今回は3回目です。1200円なのに豪華なネタが並びます。ウニ、あわび、カニ、エビ、イクラ、ホタテ、トロ、、、。どれも私の大好きなものばかり。

おいしく頂きました。ご馳走様でした。

●気仙沼市 早馬神社

 いつもながら、最後は早馬神社さんです。年末年始のお忙しさはひと段落したのでしょうか。本年もよろしくお願いいたします。

神社への参拝後、漁火(いさりび)パークへ。眼下に三陸の海岸と海が広がります。穏やかな海に養殖用の筏が浮かび、雲間から差し込む陽光が海面を反射して、空の太陽にも負けじと眩しく輝きます。のどかさと神々しさの溶け合った景色です。

 

2日間の日程を組み、案内してくださったS.Tさん、ありがとうございました。

東京から往復夜行バスで気仙沼を訪問してくださったT.Sさん、お疲れ様でした。また是非一緒に行きましょうね。

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