2018年5月18日 (金)

気仙沼だより(平成30年4月)(3)

●石巻

 石巻の大川小学校へ。こちらも震災遺構として遺すそうです。校舎を支えていたコンクリートの柱がなぎ倒されて折れ曲がり、中の鉄骨がむき出しになっている姿は、津波の破壊力を否応なく感じさせます。改めて、犠牲になられた児童生徒の皆さんと先生方のご冥福を祈り、哀悼の意を表したいと思います。

 

 道の駅「上品(じょうぼん)の郷」で昼食を頂いてから、石巻市総合運動公園へ。ここは、被災地最大規模の仮設住宅地でした。広大な敷地(142,069㎡)に、ピーク時で487世帯、1,225人が入居される仮設住宅がずらりと立ち並んでいました。

震災から7年。仮設住宅の殆どは撤去され、はずれのほうに少し残っているだけです。このすぐ近くには、震災後にできた大型量販店街が大変な賑わいを見せています。日本全国どこでも見かける大型量販店の見本市のような町です。そこから車で5分もかからないこの場所で、忘れられたようにひっそりと肩を寄せ合っている仮設住宅が数棟・・・。7年経ってもこの場所で、仮設住宅を出られずに住んでいらっしゃる方たちの気持ちは想像もつきません。

 

一日の終わりに、渡波にある夫の実家近くにある宮殿寺でお墓参りを済ませ、お寺から数百メートルの海岸に出ました。三陸とは異なる大海原が広がります。海岸線がゆるやかな曲線を描いて左右に伸びていきます。

「海は広いな、大きいな~」そんな歌が口をついて出てきそうです。

震災前にも夫の帰省のときに何回か来たことはあるのですが、こんなに雄大で、そしてきれいな海だったのかと、初めて気がついた気持ちです。

今日最後の慰霊をさせて頂きました。

 

一関までの車中で、S.Tさんとたっぷりおしゃべりをしました。私の今の心の迷いも聞いてもらいました。

9時から夕方5時まで、中身の濃い1日でした。

S.Tさん、本当にありがとうございました。

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2018年5月13日 (日)

気仙沼だより(平成30年4月)(2)

●南三陸

南三陸に向かう途中の道もかなり整備が進んでいました。海沿いの数箇所(小金沢、志津川)で慰霊をさせて頂きました。

津波の被害を免れたのでしょうか。そこここの民家の庭には昔ながらの立派な鯉のぼりが泳いでいます。都会ではもう見かけることもなくなってしまった光景に心が和みます。

 

大谷海岸にあった仮設のラーメン屋さんもなくなっていました。醤油ラーメンがおいしくて、何回も足を運んだお店です。震災前は海水浴客で繁盛していたそうです。

ご主人夫婦はお嬢さんを津波で亡くされました。結婚前の19歳の若さです。

ご夫婦とも病気を抱えておられ、毎月1回、東北大学病院まで2時間半かけて通院されているとのことでした。袋詰めのりんごを頂いたこともあります。

冷たい水仕事、立ち仕事はさぞお辛かったことと思います。お元気でいらっしゃることを祈るばかりです。

 

さんさん商店街に立ち寄りました。平屋作りの建物に、食堂やコンビニ、土産物屋さんなどが入っています。南三陸名物「きらきら丼」の看板を出しているお店もたくさんあります。「きらきら丼」というのは三陸の海の幸がたっぷりのった贅沢な丼です。

駐車場は満車状態。遠くからも大勢いらしているようです。

さんさん商店街から、防災庁舎の3階の上部と屋上が見えます。町の嵩上げのために、2階以下は地下に埋もれてしまったかのようです。震災遺構として遺すことになったそうです。嵩上げして上から見下ろすようになってしまうと、津波の恐ろしさもあまり実感できないような気もします。

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2018年5月 4日 (金)

気仙沼だより(平成30年4月)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が先月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」を3回に分けてお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成3042122日)

◎平成30421日(土)

21時(夜9時過ぎ)気仙沼駅に到着しました。駅からタクシーに乗って気仙沼パークホテルへ。気仙沼は今日はとても暑かったと運転手さんがおっしゃっていました。

昨年の6月以来、約1年ぶりの気仙沼。どれくらい変貌したのか、復興したのか、気になります。明日はゆっくり慰霊をしながら町の変化を見てみたいと思います。

◎平成30422日(日)

 朝から初夏のような暑さ(暖かさ?)。約1年ぶりに岩手県職員のS.Tさんと再会です。今回は1日だけの滞在となります。石巻までの道すがら慰霊をしていくことになりました。

●気仙沼

 市内はすっかり嵩上げが進み、仮設商店街の多くは既に姿を消していました。仮設商店を撤去した跡地に、新しく2階建ての建物が建ち、お店も入って営業しています。市内のあちこちにあった仮設商店街のお店が一箇所に集まったのでしょうか。

初めて気仙沼を訪れたときに入った「特急寿司」さんは営業をやめられたそうです。45回は入ったでしょうか。温かみのあるお店でした。安くておいしかったのに残念です。

一方で、5階建てくらいの災害公営住宅の数が増えています。気仙沼の漁港にはあまりしっくりしない無機質の建物です。洗濯物がベランダで風に吹かれている以外は、人がそこに住んでいる気配はしません。

市内と大島を結ぶ橋は完成したようですが、実際に使えるまでには23年かかるとか。架かればすぐにでも車や人が渡れるわけではないのですね。

気仙沼の漁港数箇所(ロの字岸壁、松崎片浜、最知)で慰霊をさせて頂きました。日曜日でも働いている人影も見えます。漁はこれからが忙しくなるのでしょうか。

 

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2017年7月 5日 (水)

気仙沼だより(続き)

気仙沼だより(続き)

◎平成29年6月11日(日)
●気仙沼市 大島への橋
 気仙沼市と大島を結ぶ橋を見学させて頂きました。これでずいぶん島の生活も便利になるのでしょうね。開通までには道路の建設などがまだ残っていますが、完成したら是非橋を渡って大島に行ってみたいです。
 

●気仙沼市 早馬神社さん
 午前中、正式参拝をさせて頂きました。
 参道の脇に、小さな平屋の建物を建築中でした。梶原忠利宮司様の叔母様である詩人梶原しげよ様のギャラリーで、その作品を展示されるそうです。落成式は今年の9月16日だとのこと。
 次回参拝するときに見学できますね。楽しみです。

http://hayama.jinja.jp/html/kajiwara%20shigeyo.html 

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
午後はK.Kさんのところに遊びに行きました。お弁当を買っていったら、K.Kさんも用意してくださっていました。いつものことながら、K.Kさんの楽しいお話を聞かせて頂きました。
 

今回も岩手県職員S.Tさんには大変お世話になりました。ありがとうございました。 

 これまでは町の変貌(嵩上げやそれに伴う山の切り崩し、防潮堤による景観の破壊、無機質な災害公営住宅の林立など)を嘆いてきた私ですが、考えてみればそれはよそ者の勝手な感想なのだと気がつきました。
 そこに暮らす方たちこそ主役なのです。住みやすく、いつかは帰ってきたいと思えるような町を再建していかれることを祈るばかりです。

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2017年6月30日 (金)

気仙沼だより(続き)

気仙沼だより(続き)

◎平成29年6月10日(土)
●陸前高田市・大船渡市見学と慰霊
 市内の防潮堤建設も進み、市内から海を見るためには少し高台に行かないと見えません。海沿いの2箇所で慰霊させて頂きました。

 陸前高田市には「アバッセたかた」、大船渡市には「キャッセン大船渡」というショッピング・モールができ、広い駐車場には何台も車が停められていました。どちらにも大手のチェーン店がテナントとして入っているようです。地元の方たちのお店は何件くらい入っているのでしょうか。
 ようやく買い物の楽しみが戻ってきたなら喜ばしいことです。一方で、震災前の町並みを懐かしむ方たちの声も聞きます。
でも数十年後には、この町を故郷として懐かしむ人たちの時代が来るのですね。
温もりのある町になってくださいますように。

●陸前高田市 O.Fさん宅
 約2年ぶりにO.Fさん宅に訪問させて頂きました。O.F.さんは、今まで拝見したことがないくらい、明るく生き生きされていました。
竹駒地区の仮設住宅の住民もほぼ全員、災害公営住宅に移られたとか。
 仮設住宅で一緒だった仲間たちが時々O.Fさんのお宅に遊びに来られるそうです。でも、その仲間たちは決して自分たちの新しい住居に来いとは言ってくれないし、住所さえ教えてくれないのだそうです。災害公営住宅では誰も表札を出していないとか。防犯のためというのではなく、別の理由があるようです。
 一緒に困難苦難を乗り越え、支え合って、本当の仲間だと思っていた人たちが、震災後、何故か急速によそよそしくなっていく…。その変化の理由がO.Fさんには思い当たりません。
 「私だって被災者なんだよ…」気丈なO.Fさんが目頭を押さえます。
共に助け合い、腹を割って話し合ってきたと思っていたけれど、心の中には、何か屈折した思いがあったのかもしれません。
当時は助け合わなければ生きていけないからと我慢し、抑え込み、溜め込んでいた思いが、抑えこむ必要がなくなった途端、一気に噴き出してきたのかもしれません。
 相手のためを思ってしたことも、相手にとっては負担になっていたり、有り難迷惑に思われていたこともあったのかもしれません。
 震災は人の心に様々な傷を残しました。その傷が完全に癒える日は来ないのかもしれません。

 仲間のことで涙ぐまれたO.Fさんですが、はっきり仰いました。
「私は今、とても幸せです」
 それは、聞いてくれる人、教えてくれる人、感謝してくれる人がいらしたからだと仰います。人との出会いは、自分で作り出していくものだとも。
 
「娘になってくださいね」O.Fさんに初めて言って頂いた言葉でした。
 帰り際、畑でできた新鮮なお野菜と、特産の椿油を頂きました。
 本当に、本当に、ありがとうございました。

●居酒屋 里さん
 夜は、気仙沼市内に数箇所しか残っていない仮設商店街のうちの1つ「酒場 里」さんへ。
こちらに訪れるのは3回目でしょうか。
 和服の女将さんが明るく迎えてくださいます。お店も満席です。
震災後はご主人と2人で切り盛りされているそうです。あまり無理をせず、時に温泉などに入って身体を休めたりしながら経営されているとのこと。お店も来年10月までだそうです。
それまでにはまた何回かお邪魔させていただきます!どうぞお元気で。

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2017年6月27日 (火)

気仙沼だより

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生が今月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」を3回に分けてお送りいたします。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成296911日)

◎平成2969日(金)

 18時過ぎ、一関駅で岩手県職員S.Tさんに車に乗せてもらい気仙沼へ。18時半でもまだ昼間と同じくらい明るいです。

 19時半、ホテルでチェックインした後、市内の仮設商店街の居酒屋さんへ。先客は2人だけでした。そのお客さんもすぐに帰ってしまいました。

市内の仮設商店街はこの4月で軒並み解体。一方で、災害公営住宅の建設も終わり、夜の気仙沼市内の何もない広野の何箇所かに6階から13階建ての災害公営住宅(マンション)の外灯だけが目を引きます。入居率は約80%。全戸が埋まったわけではないそうです。

一見復興は順調に進んでいるかに見えます。しかし、復興に取り残され、新しい暮らしに切り替えられず立ち往生している人も大勢いらっしゃるのです。

震災直後、無我夢中で仮設商店街を立ち上げ、歯を食いしばり必死の思いで店を経営してきた56年もあっという間に過ぎ、町の復興(嵩上げ、道路の敷設、防潮堤の建設、災害公営住宅の建設、高台移転など)が進んでいく中、次の生活が全く見えない方たち…。

新しい店舗を構えることもできず仮設を追われ、今後の生活の見通しも立たないまま立ち尽くす方たち…。

震災はいまだに多くの方たちに、新たな難題を次々と突きつけているのです。

(続きます)

 

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2017年4月16日 (日)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29年3月12日(日)
 今日もすばらしい青空です。
 

●陸前高田市 O.Sさん宅
 市内で介護保険制度のケアマネージャーをしていらっしゃるO.Sさんのお宅へ。
 O.Sさんは、昨日はご主人様のお墓参りにご家族でいらしたそうです。
 昨年暮れ頃から体調を崩され、今は2週間に1度、盛岡市内の病院に通われているとのこと。
 ケアマネージャーのお仕事もある中、ゆっくり療養するのもままならないと思います。
 S.Tさんにだけは、本音で話すことができるのでしょう。
 家族にも話せない思いの丈を、S.Tさんにはぽつぽつと吐露されます。
  少しずつ胸につかえていた思いも軽くなり、気持ちが楽になってこられたようです。
  お暇(いとま)する頃には、顔色もよくなられたような気がします。
 暖かい春ももうすぐです。どうぞお体 お大切に。
 

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
午後はK.Kさんのところに遊びに行きました。お弁当などを買ってきて、おしゃべりです。
3ヶ月に1度、ただ遊びに行くだけなのに、いつも温かいお心遣いありがとうございます。
 

今回も岩手県職員S.Tさんには、大変お世話になりました。 

震災から丸6年。
被災地では、復興の名の下、嵩上げが進んでいます。
嵩上げに使われる土のために削られ、平らにされた山が、無残な土肌を露出しています。
海岸線の防潮堤も建設が進んでいて、海が見えなくなっている所もあります。
そんな中で目を引くのが、5~6階建ての真新しい災害公営住宅。荒野の中に立ち並びます。
山も川も海も 家も道路も、震災前とは全く異なる姿に変貌を遂げていきつつあります。
 

復興はどのような町を、この地に造り出していくのでしょう。
そこを故郷と思って懐かしむ人は、どれくらい残っているのでしょう。
思い出のよすがの消えた町。
戻っても、まぶたに残る自然も町並みもないその町を、故郷と思える人はどれくらいいるのでしょう。

故郷とは、昔のままにそこにあるもの。
幼い頃の思い出を、たちどころに蘇らせてくれるもの。
辛いとき悲しいとき、戻れば温かく迎え、包んでくれるもの。
それが故郷なのではないでしょうか。
 

5年後、10年後、震災の思い出を持たない新しい世代によって、新しい思い出が紡ぎ出されて、そこを故郷とする人たちが育っていくのでしょう・・・。

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2017年4月14日 (金)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29年3月11日(土)(続き) 

●追悼式典
 午後は気仙沼市内の追悼式典に参加させて頂きました。
 ご遺族代表の男性のお話が胸に響きます。
 震災の日。津波に巻き込まれながらも橋の欄干にしがみついて難を逃れ、一晩過ごす橋の上。
 気仙沼市内で発生した火事や決壊した川の様子が地獄絵のように目に飛び込みます。
 小雪もちらつき出しました。落ちている発泡スチロールを砕いて服の間に詰め込み、寒さと闘います。
 襲い来る睡魔。
 「お父さーん! お母さーん!・・・」
 ご両親・奥様・子供たちの名前を、必死に叫び続けます。
 それでもいつか眠りに落ちます。目が覚めたとき、頬にはうっすら雪が積もっていました。
 “助かった!“
 安堵したのも束の間。生きて再会できたのは息子さん1人だけでした。
 “どんなことがあってもこの子を育て上げて見せる!” 
 そう強く心に誓われます。
 その息子さんも4月からは高校生。関東のほうに出て行かれるとか。
 “幸せとは家族の会話にあった。”
 6年間の父としての思いが込められた言葉でした。
 

●高台住宅
 式典の後、近くの高台移転の住宅(市営牧沢住宅)を見に行きました。
 舞根地区の住宅とは異なり、ここの住宅は全て同じ企画の戸建てです。
 規則正しく整然と並ぶ、マッチ箱のように同じ形の家々。
 まるで兵舎が並んでいるみたい。
 まだ誰も住んでいないので、カーテンのない窓から、家具も何もないガランとした家の中が見通せます。
 住宅地内の真っ直ぐな道路を、風が吹き抜けます。
 ここに移り住んでくる人たちの悲しみも、思い出さえも吹き飛ばし、寄せ付けないかのようです。
 それでもやがて、ここにも多くの家族が移り住み、それぞれに新たな思い出が積み重ねられていくのでしょう。
 

●慰霊
 夕方。
 今日最後の慰霊をさせて頂きます。S.Tさんの従兄弟さんの住んでいらした家の近くでの慰霊です。
 S.Tさんの従兄弟さんも、お子さん3人とお父様(S.Tさんの叔父さん)を亡くされました。
 家から数10メートルのところで、4人を乗せた車が見つかったそうです。
 愛する子供3人と父親を一度に亡くされるという測り知れない悲しみ。
 従兄弟さんはこの3月、高台移転の住宅地に再建した家へ移られたそうです。
 新居には思い出の柱も持って行きました。
 それは、子供たちの背比べの跡が記された柱です。

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2017年4月12日 (水)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日) (続き)

◎平成29311日(土)

 

 目が覚めると朝の太陽が部屋に射し込んでいました。 

暖房を切っていても暑いくらいです。 

真っ青な空を見ながら出発です。

 

●気仙沼市 早馬神社さん 

 午前中に正式参拝をしました。 

 時間的に余裕があるので、いつもより落ち着いて宮司さんたちとおしゃべりができました。 

 話題は、これからの復興について。 

 震災後の人口流出を心配されていました。 

 震災後に漁業を廃業された方も多いそうです。 

 日本全体に言えることですが、神社でも後継ぎがいなくて廃社するところもあるそうです。20年後には今の4割の神社がなくなるかもしれないというお話は衝撃的でした。

 ●舞根地区の高台移転 

 唐桑町の舞根(もうね)地区は、牡蠣仙人といわれる畠山重篤さんの出身地区です。この地区では防潮堤建設に地区の人が全員で反対して建設を免れました。地区の方たちは高台移転されたそうです。 

その移転先を見学してきました。 

山を切り崩して平らにした海抜40メートルくらいの高台に、新築の家が立ち並んでいます。20軒ほどでしょうか。どれもおしゃれな家ばかり。東北の漁村というより、都会の新興住宅地のようです。唐桑の民家の特徴である、少し反り返ったような赤瓦の屋根と立派な破風造りの家は見当たりません。 

 

●慰霊 

 気仙沼市内3箇所((宿浦漁港、大沢漁港、松岩漁港)で慰霊をさせて頂きました。 

 少々風は強く吹いていますが、海面はきらきら輝いています。 

 こうして慰霊させていただけることに感謝しながらの慰霊です。

 

(続きます)

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2017年4月10日 (月)

気仙沼だより(平成29年3月10~12日)

(事務局より)

本日は、ひふみともこ先生がこの3月、東北地方へ東日本大震災の慰霊にいらっしゃいました際の「気仙沼だより」をお送りいたします。3月11日は震災後6年という事で、色々なところで追悼式が行われていました。

ひふみ先生が気仙沼へ慰霊に赴かれることになった経緯などは事務局のブログ

http://irohahihumi.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e8c1.html

をご覧ください。

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気仙沼の報告(平成2931012日)

 今回は310日(金)の夜から気仙沼に入りました。

11日は震災から6年目。追悼式典が各地で催されます。1112日の両日、震災から6年目であることを心にしっかり刻みつけながら、被災地の様子を見たいと思っています。

◎平成29310日(金)

 18時過ぎ、一関駅で岩手県職員S.Tさんに車に乗せてもらいます。気仙沼に向かって夜の道をひた走ります。いつもは気仙沼からの帰りに、夕景を眺めながら一関まで乗せて頂くので、今日は景色も違うし、ちょっと不思議な気持ちです。

 19時半、ホテルでチェックインした後、市内の居酒屋「ぴんぽん」さんへ。地元の人気店だそうです。

店の中はほぼ満席。入り口は狭いのに、店内に一歩入ると奥行きがあります。店の奥までお客さんがひしめいています。地元の方が多いのでしょう。店全体で盛り上がっている感じです。S.Tさんが予約をしていてくださったので入れましたが、そうでなければ入れなかったでしょう。

 刺身の盛り合わせには私の好きなアワビやホタテも。新鮮で歯ごたえがよく甘みもあります。11品が大体400円前後です。お店は熱気と活力に漲っています。

お客さんたちの屈託のない笑顔の裏には、様々な思いがあるのでしょう。

でも、今は今の時間を楽しむこと!

あれこれ余計なことに気を回してしまいがちな自分の背中を押されるような気がしました。

(続きます)

 

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